ジンクスってあまり信じないけど、平気だと思うと平気になって、ダメって思うとダメになるようなことはあるような気がしますね。これはジンクスというよりも言霊かにゃ?
私の場合は、これまで出会った数多くの人にほぼ異口同音で「変」、「普通いない」、「変人」、「宇宙人」、「異星人」、「何様」などといいように言われているので、自分が人と違うということは大体わかっているつもりではいますがこれがなかなか難物でして。
つまり普通であることの偉大さに圧倒される瞬間に、微妙にひれ伏してしまうというか。
それで時々、見栄を張るというか、無い物ねだりというか、普通に他の人と同じような感じになってみたい、という大きな勘違いをすることがありまして。ほぼそのような動機に基づいて何らかのことを計画したり行動に移したりすると、大失敗します。まあ、当たり前といえば当たり前なのですが。
でも、社会生活をする内に無意識で身につけていった「自分がさも普通の常識人であるかのような真似をする」という癖がなかなか抜けません。昔から軽めに多重人格気味というか、素質的にはパーソナリティががらっと変わるという面もありまして、それを指摘されたこともあり。
で、いろいろ悩んだこともあり、困ったこともあったのですが、相変わらずあちこちにブログを作ったりしてそのたびごとに違うHNを使うあたりは、もう天然で多面性があるんだろうなあと思っています。この多面性はどれが優位ということはなくて、必要に応じて出てくるので、全ての自分を統括する部分では意味があるのだろうとあまり気にしないことにしています。
何が言いたいかと申しますと、今年始め、日付は1月2日に主に微生物を念頭において
ひとりで共生〜?! などという記事を書いていたわけですが、終わる頃になって、これは頭の中もきちんと共生として認めちゃったほうがいいんじゃないかな、などと思ったわけです。
別に、もうひとりの自分がいるとか、私の知らない私とか、映画や小説になるような話ではなくて、「人生を普通に生きる」という文脈の外であれやこれや考えることのある種の無意味さを自分の役割として認めようということであります。
やれ、宇宙がどうなってるとか、知性は純粋な情報の集積だとか、普遍性のある情報は時間を超えるとか、実生活に役に立たないことに膨大な時間を費やしているのはなぜか、という理由を考えてみた時に、実はこの多面性は、「人間という存在様式の中に普遍的な知性が寄生していることから来ている」という逆転の発想を受け入れるわけですね。
この寄生体を仮想することで、地球から宇宙へ、さらに宇宙の外へと視点を誘って「存在の多様なあり方」を思考実験していく。私がここで生きている一番の理由はこれに尽きるのではないかとしみじみ感じる部分がありまして。
これを認めないでいると、「普通」が徐々に忍び寄ってきて重荷になって「早く年相応の落ち着いた
ばあさん大人の女性として生きなければならない」などというプレッシャーに育っていくんですね。おそらくこれは細胞のプログラム。
で、私はこの細胞サイドからすると認めれらないバグみたいなものなんだろうと感じる部分があり。細胞サイドのバグとしてデバッグの対象になるよりは、細胞を利するために「外の視点を寄生させている珍しい個体」として開き直っちゃった方がいいんだろうな、と。
ということで、来年の脳内テーマは、外部の知性との共生に決めました。アレカオさん、リニューアルして非常に使い勝手が悪くなりましたので、このブログ「ナチュラル」での更新はこれで終わりにします。
ブログは
nature beyond (
http://xenovia.exblog.jp/ )に移転いたします。過去記事もほぼ移転済みですので、次回からエキサイトで更新します。私の勝手なエントリを暖かく見守ってくださった方々には、この場を借りてお礼を申し上げます
海より広い心をお持ちの方々に、新しい年がたくさんの幸せをもたらしますように
